原田芳裕とは、どういう人でしょうか?
ここでは、私、原田芳裕を思いっきりご紹介させていただきます。↑の画像は、私が優雅に踊っている写真です。間違いなく本人です。
私、原田芳裕を、思いっきりご紹介します。
原田芳裕(はらだよしひろ) 簡単プロフィール
生年月日 1976年2月18日。愛知県名古屋市生まれ
現在地 愛知県春日井市
何やってるの? 職場環境改善工房の代表です。
出身大学は? 名城大学法学部です。※余談だが、私は第一志望北海道大学で、合格しながら、行かなかったという実績を持っています。
私、原田芳裕は、パワハラ相談のプロフェッショナルです。
私は、35歳に就職した会社で、当時の上司のパワハラと1年半にわたり闘いました。そして、それを本として出版しています。
この本は、2016年にオーストラリアの国立国会図書館にも収蔵されました。 海外の国立図書館に収蔵されるなんて、非常に名誉に思っています。
この実体験から、2013年に労働相談を始めます。その時のことが、中日新聞・東京新聞に大きく掲載されました。
これが、今の無料相談の原型となっています。その後、愛労連の労働相談センターの相談員(現在)も含めて1500件以上の相談対応経験があります。
私のパワハラ相談のモットーは以下の通りです。
原田芳裕のパワハラ相談モットー
会社も自分も、相手も良くなる解決を目的点とする。
そのために、より現実的で、安心感も得られる合理的な方法を提案する。
相談者が抱く「憎しみ」や「逃げたい」という気持ちには厳しく、
相談者が抱く「社会に役立ちたい」という志を後押しする。
是は是 非は非で、愛情をもって厳しくし、パワハラから逃げずに互いに闘おう。
私自身は、パワハラ相談者の「社会に役立ちたい」という気持ちに寄り添いたいと実践してきました。
一方で「謝罪させたい」「謝らせたい」「慰謝料とりたい」「あいつが悪い」一辺倒の、いわゆる憎しみに固執する相談者には、非常に厳しいです。上辺だけ「社会に役立ちたい」と言っている相談者にも、厳しいところがあります。
これは、私自身がパワハラと闘い、本出したことで、社会にも認知を受けたことで得た教訓です。
「意思をもって、パワハラと闘えば、必ず報われる」
意思には、①人間らしくありたい ②社会に役立ちたい という気持ちがあることが大事です。気持ちがあれば、意思は継続します。そして、諦めたら意思は意思でなくなります。
今まで、様々な事例を経験しました。人が亡くなった事案もあり、メンタル疾患にかかった方の事案や、大人のアスペルガー、被ばくなどの特殊な事例も経験してきています。
一番理想的なパワハラの解決は、①人間らしく ②社会的にも前進できる解決です。その為に全力を尽くす、日本で唯一無二な存在であり続けたいと、日々実践しています。
作曲という趣味を持っている。
オーケストラや、吹奏楽、室内楽などの曲を作るのが趣味です。
一度、プロのオーケストラで取り上げてほしいという夢を持っています。
作品をYOUTUBEに挙げていますので、ご紹介します。
オーケストラ・吹奏楽の曲
ピアノ曲
その他
その他、原田芳裕がしてきたこと
私が、今までしてきたことを紹介いたします。
原田芳裕がしてきたこと
1976年2月愛知県名古屋市生まれ。同年11月より愛知県春日井市で育つ。現在も愛知県春日井市在住。父は日本人で、母は在日朝鮮人2世である。
現在は「職場環境改善工房」の代表として、ハラスメント防止をコンセプトとして企業研修やコンサルティングを行っている。
作曲を志したきっかけは、高校の時に吹奏楽部に入り、TUBAを始めたことにある。複数の楽器が重なって奏でる響きに憧れ、「自分だけが作り出せる響きを創りたい!」と強く思った。芸術大学に行くことも考えたが、親の猛烈な反対により断念。その後、密かに作曲に憧れ、さまざまな表現活動に関わる。
【大学時】
名城大学法学部に入学・・管弦楽団でTUBAをやる。作曲は独学で以下の専門書を買って勉強する。※()は著者
- 和声学(外崎幹二・島岡譲共著)
- 近代和声学(松平頼則)
- 対位法(長谷川良夫)
- 管弦楽法(ウォルターピストン・伊福部昭)
作曲コンクールに果敢に挑戦。大学の入学式でファンファーレを作曲し、初演されたのが、初めての作品公開であった。
【社会人になってから】・・・作曲以外の表現活動を行う。
作曲に想いを寄せつつ、会社に入った多忙から、作品作りから遠ざかるようになる。また作曲には「音の確認」と「楽譜化」が必要であり、自分の求めている響きかどうかを確認する術もないことがモチベーション低下に繋がっていった。
だが、自分のだけの音・響き・表現を求める欲求は強く、作曲以外の表現活動を行っていくことになる。
- 詩の表現活動
- 26歳時の4月ごろから、ネット詩とポエトリーリーディングを始める。
- 26歳の8月ごろ、ネット上の文学賞「うおのめ文学賞」詩部門一位受賞
- 27歳の1月、原田吉裕のペンネームで詩集「ダブルな混ざり方」を出版
- 28歳の4月から「サランサラム詩のあるくちびる」という詩の朗読会を主宰。(翌年その年の12月まで主宰者)
- 30歳の12月 ハーフ芸術集団HArtsの一員として、東京ビックサイトで行われた「デザインフェスタ」に参加。詩「黒と白」を発表
- 30歳の5月 ハーフ芸術集団HArtsの一員としてデザインフェスタに参加。女性35人にラブレターを書くというパフォーマンスを行う。
- 30歳の1月 渋谷のバー「窓」にて、自主イベント「ことばミック」を開催。好評を得る
- 33歳の3月 第19回伊藤静雄賞佳作入選
- 33歳の10月 第4回西会津国際芸術村 入選
- 韓国伝統芸能
- 27歳11月、韓国の打楽器チャンゴを叩き始める。名古屋にある韓国伝統芸能の団体「ノリパン」に入る。
- 28歳の6月に名古屋市千種小劇場で行なわれた韓国伝統芸能アマチュア団体ノリパンの公演「千種ノリマダン」に出演。以下の演目に出る。
- 農楽
- オブクチュム(五つの太鼓の踊り)
- 鳳山タルチュム(仮面踊)
- 28歳の8月に韓国ソウル市の韓電アートフルセンターで行なわれた「祝祭の大地から」コンサートにノリパンの一員として参加。東来鶴舞を踊り、湖南右道農楽に太鼓(プク)手として出演。この時の共演者は人間国宝の李潤石氏や歌手の張思翼など、蒼々たるメンバーだった。
- 30歳~33歳・・韓国伝統芸能家のミンヨンチ氏にサムルノリを師事する。サムルノリの構造を学ぶ。
- 34歳5月~ 珍島プクチュム(韓国の珍島地方に伝わる太鼓踊り)を習い始める。「ノリパン」のワークショップで年1回、4年連続で、主に朴ピョンチャン先生(人間国宝)の直弟子である尹明花先生に習う。
- 34歳1月~ 名古屋で行われた「百年の約束」講演に農楽、東来鶴踊などで出演。金雲泰先生、舞踊家朴きょんらん先生、サムルノリチーム「ノルムマチ」、歌手の張思翼先生といった豪華絢爛な方々と一緒に共演した。
- その他日本・韓国での公演経験多数
- その他表現活動
- 【演劇】・・・2014年から、演劇の舞台に出るようになる。
【作曲活動再開】
2014年から、作曲への想いが再燃し、作品を発表し始める。韓国伝統芸能や詩の活動を通して、自分が求めていた響きのありように気づいてきた。自作のコンサートも行い、これからますます、作曲活動を展開していこうと考えている。
- 2014年3月・・・愛知県犬山市で行われた「新春バロックバイオリンコンサート」で新作「春の息吹」(バイオリン+ピアノ)が初演される。
- 2016年2月・・・愛知県犬山市で行われた「東北支援チャリティーコンサートで」ピアノ曲「流れる時が重ねる今は」を初演
- 2019年1月・・・自作のピアノ曲コンサート「ピアノが弾けない作曲家のショパンの愛し方」を愛知県犬山市で行う。